2025年 1月27・28日に四谷三丁目「Art Space呼応co-oh」にて伊藤壮太郎さんが主演の舞踊公演『ばうんだり』が行われます。「境界点」をテーマにしており、身体と意識が交錯する実験的な舞踊公演です。
まずはイメージ画像から。
こちらです。
『ばうんだり』の意味は?
タイトルを見て、「ん?」となった方もいらっしゃるのではないでしょうか。私は最初に「バウンドしたり」の省略かと思ってしまいました。はい、私はアホです。
肝心の「ばうんだり」の意味は、境界、限界、限度などの意味を持っている英単語「バウンダリ(boundary)」のことです。
伊藤さんは『境界点』という概念から着想を得て、「社会的立ち位置」「感覚の記憶」「身体構造」などに考察を広げながら今回の舞台に臨んでいます。
社会は個の集合体ですが、区切り方の意識によって意識や行動が変化していきます。今回の舞台で、伊藤さんが『境界点』という概念をどのように料理するのか楽しみでなりません。
表現する方のスタイルは多種多様ですが、私は思考を伴った表現というのが大好きです。私が伊藤さんに惹かれるのは、さまざまなジャンルと接点を持ちながら思考を形にしようという意志が強く感じられるからです。
もうひとつ見過ごせないことがあります。
この公演には「MONOGATARU project」という言葉が添えられています。これは、「やりたいことをやろうとしてみる企画」という想いが含まれています。今年は伊藤さんが舞台表現の分野に入って10年、そして20代最後の年でもあるそうです。それだけに意欲に満ちている姿に出会えそうな期待感も膨らみます。
「物語」や「見どころ」など
事前に「物語」や「見どころ」が投稿されていましたので載せておきます。
【物語】
社会の一員として生きてきた主人公が、ある日、不思議な空間に迷い込む。 そこは、コンクリートと光が織りなす、日常とは異なる世界。 そこで彼は、自分自身の存在意義や、世界の本当の姿と向き合う。 身体が変化し、意識が拡大していく中で、彼は新たな自分へと生まれ変わる。
【見どころ】
* 身体表現: 身体の動きを通して、人間の深層心理や空間との交渉を表現
* 演劇的表現の多様:鑑賞者を誘うストーリーテラーとなる主人公がいる
* 音響: 自然音と電子音を融合させた、アーティストとsaltaによるオリジナルサウンド
* 舞台美術:デザインスタジオDODIと制作した想像力を刺激する美術
* “変容の場”と化した舞台上では、生と死、神話と科学、太古と未来、調和と混沌といった、一見、対立するものたちの境界線が探られる
【こんな方におすすめ】
* 現代アートに興味がある方
* 自分自身と向き合いたい方
* 新しい体験を求めている方
舞踏というと難解なイメージを持たれる方もいるでしょうが、事前にこういった言葉があることで気持ち的に入り込みやすくなります。
<公演詳細>
舞踊公演『 ばうんだり』
MONOGATARU project
開催日:2025年1月27日(月)・28日(火)
時間:19:00〜(18:30開場)
会場:Art Space呼応co-oh
住所:東京都新宿区四谷3丁目6ー9 地下一階 結城ビル
会場ホームページ:https://www.cooh-studio.com/
アクセス:東京メトロ丸の内線「四谷三丁目駅」4番出口から徒歩約1分
MAP: https://x.gd/8HcDZ
料金:4,500円(1ドリンク含)
チケット予約: https://forms.gle/eSbkTytpsch6zpxS6
お問い合わせ: monogataru1995@gmail.com
※もしくは出演者に直接ご連絡を
Facebookイベントページ:https://www.facebook.com/events/592429433410811
伊藤さんの2024年12月の公演「境界点のブイ」
伊藤壮太郎さんの舞台を昨年の12月に拝見しました。感想を簡単に書いているので、それを転載しておきます。
こちらです。
念のために文章も載せておきます。
2024年12月23日(月)、深谷正子『動体観察2Daysシリーズ 12月版』2日目〜「境界点のブイ」(伊藤壮太郎)。5月から続いてきた動体観察シリーズのラストとなる公演。なぜ伊藤さんが締めくくりに選ばれたのか? 「まだ最近出会ったばかり。だけど、(ソロ公演の)厚みのある身体表現を見て応援したいとお願いした。20年後の踊りの世界を担う人だと思う」。終演後、深谷さんは50歳ほどの年齢の隔たりがある伊藤さんのことを嬉しそうに紹介した。実際、公演内容は、未来に期待感を抱かせるものだった。ダンスや舞踏、さらには演劇やエンタメ要素、そして文学性なども内包した濃密な作品に仕上がっていた。
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開場前から待っている方が10名以上、開演15分ほど前にはほぼ満席状態。客層は伊藤さんのファンが中心。若い女性が目立つ。舞台にはシャツ、そしてロール状態のキャンバスが吊り下げられている。舞台を取り囲むように配置された照明に加え、今回はスチール撮影用のストロボが2灯ほど置かれている。照明担当は玉内公一さん。いままで私が拝見した深谷さんの公演でストロボが使われたことはなかったので、新鮮な展開の予感がする。そして音楽(saltaさん)と美術(柴田勇紀さん)は伊藤さんのお仲間。お二人とも20代という布陣。
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入場時にはイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」などが流れていたが、開演5分前あたりからBGMが公演モードへと変化していく。波の音、雑踏、さらには鐘の音?のような音が遠くから響いてくる。途中からはメトロの車内アナウンスが重なっていく。クリアでない音がないまぜとなっていく。まるで慟哭のようにも感じられる。過去と現在、虚と実、表裏一体の相反する感情、2つの切り離せない存在のイメージが膨らんでいく。この時点で自分のメモを見直すと、“ 葛藤・苦しみ・希望・旅立ち・存在・孤独・迷宮・混沌 ” という言葉が並んでいる。実際、これは振り返っての自分なりの反省点でもあるが、最初に気持ちを入れすぎてしまったかもしれない。また、伊藤さんが三重県出身であり、作品タイトルに入っている「ブイ」いう言葉に引きずられすぎてしまった感もある。どう感じようが見る側の自由ではあるが、最初から自分の感覚ベクトルに予断を与えすぎてしまった。……とはいえ、他のお客さんがこの時点で何を受け取っていたのかも少し気になっている。
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19時の開始時間が過ぎても暗転にはならない。静かに波の音などが流れ続けている。1分、2分、会場は少しガヤついた状態。3分すぎ、徐々に波の音が大きくなり、会場全体の集中度が高まっていく。あとは伊藤さんのスタート待ちといったところか。5分ほど過ぎたところで暗転し、スタート。薄明かりで静かに佇む伊藤さんの姿がぼんやりと浮かび上がる。このタイミングでメトロの車内アナウンスが、かすかに差し込まれる。時間をかけて舞台中央へと移動。ウェアはボクサーパンツ一枚。鍛えられた肉体が美しい。時間にして4分ほどか。歩けば数歩の距離を丹念に進む。見る側の気持ちが伊藤さんに引きつけられていく。全身が見えた時点で私は違和感を持つ。それは足元。裸足ではなく靴下を履いている。舞台に吊り下げられたロール状態のキャンバスも同様なのだが、見る側に引っ掛かり感(違和感・疑問)を持たせる演出がニクイ。
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ここでストロボが発光。照明の明るさが増し、全身がハッキリと提示される。手を広げ、指を揺らめかす。薬指と中指の第二関節を軸にした微動からはじまり、肘・腕・肩を丁寧に旋回させていく。身体の中にある神経繊維に自身の気持ちを流れ込ませているような印象。そして視線を遠くへ向け、足元へと移す。このあたりまでに要した時間は10分ほど。入場前に感じたような感情は見えてこなかった。むしろニュートラルに近い伊藤さんのように感じた。しかし、不意に視線の雰囲気が変わる。虚しさ、恐れ、違和感……なにかに翻弄されているような気配すら感じる眼差し。両手を伸ばし、不安に呼応するように揺らめいていく。この後にストロボがたかれ、伊藤さんの意識はカミテ側に吊り下げられたシャツへと移っていく……。
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この調子で書いていると、少し時間がかかってしまう。なので、結論から伝えることにする。
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今回の公演は、私的には感情の動きや物語性を強く感じさせられた。等身大の揺れ動く正と負の感情や決意のようなものを踊りに昇華させたように見えた。有島武郎の『生まれいずる悩み』が少し頭をよぎった(内容は全然覚えていないけど)。なので、この投稿の最後部分に公演を思い返しながら、有島武郎を大部分パクった文章を書いてみた。感じ方は人ぞれぞれなので、私のように感じた人がどれだけいたかはわからない。
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吊り下げられたシャツとの関係性は10分ほど続いた。驚かされたのは伊藤さんがシャツを掴み取った瞬間にシモテのキャンバスが一気に開かれた部分。誰もが想定外の連動にハッとさせられたはずだ。そのキャンバスには本物の洋服が埋め込まれ強力圧着された上に伊藤さんの画像がプリントされたという凝った仕上げ。しかも伊藤さんの顔がボカされていて見えない加工が施されていた。「裸の状態からシャツを着たリアルな伊藤さん」と「シャツを着た顔がボカされた伊藤さんに似た何者か」という対比を具現化した美術の柴田勇紀さんに拍手。
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最大のハイライトはスタートから40分ほど経過したあたり。さまざまな心の葛藤を表現した後、感情の渦から弾き飛ばされるように舞台奥にある飾棚に身を投げる。音楽も優しげなものに変わり、徐々に波音が加わる。広い海の中で漂いながら渦巻く感情が溶かされ、浄化されていくような展開。波音は次第に大きくなり、狭い飾棚の上で塊のように丸まった伊藤さんが、徐々に身体を起こしていく。飾棚のシモテに仕込まれたスポットが希望の光のように照らし出される。ここから2〜3分、なんと私はキャンバス絵との位置関係で伊藤さんの動きがほとんど見えかった! この時間、伊藤さんは決意的動きをされたはずなので、めっちゃ残念! しかし、見えなくても、ここが最高のシーンだと確信が持てたし、見えなくても心で感じ取れたのでヨシとする。
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ラストは靴下やシャツを脱ぎ捨てた伊藤さんが飾棚から下り、床に横たわる。ウッドベースの流れはじめたところでシモテ奥からの照明がキャンバス絵の背後から照らす。象徴的に浮かび上がる圧着されたシャツ。そしてストロボが一定の間をおいて煌めく。1回、2回、3回……。10回ほど光っただろうか。その間にゆっくり立ち上がり退場する伊藤さん。ここで暗転。時間は56分程度。暗転前の音楽も含めると65分ほどの公演。紹介不足で申し訳なかったが、要所要所にメトロの車内アナウンスなどを織り込んだsaltaさんの音楽も全体の空気感をうまく醸し出していた。まだ書き足りないので、ブログで追記投稿するかも。。。しれない。
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さて、ここからは蛇足。カットしようかと思ったが、せっかくだから載せておく。有島武郎『生まれいずる悩み』を大部分パクって下敷きにした感想的な文章。クレームは受け付けない。
『青年は幼少時代から踊りが好きだった。踊りは自分を夢と現実を超越した世界へと導いてくれた。上京して好きな踊りで生活ができることは、青年にとってどれほど喜ばしいことだったろう。心の奥底には確かに火が燃えてはいた。大きな舞台、切磋琢磨する仲間、きらびやかな舞台、自分を見てくれる多くのお客様、申し分ない環境の中にいることは、これ以上もない喜びであるのは間違いなかった。けれども情熱の火をくすぶらそうとする何かわからない澱みのような堆積も重く感じ取れるようになっていった。振り払っても火に覆いかぶさるように押し寄せてくる塵芥。かきのけてもかきのけても容易に火の燃え立って来ないような瞬間。「あの頃のように踊りたい」。青年はかつては同じはずだった夢の世界と現実の世界との境界線をたどり、自分自身でブイを見極めようとしている。そして青年は踊りつづける。東京・六本木の古ビルの一室に、今、一つのすぐれた魂は悩んでいる。もし私がこの公演感想を記さなかったならば、だれもこのすぐれた魂の悩みを知るものはないだろう。青年がどのような一生をすごすのかはわからない。それは神から直接青年に示されるか、青年本人が腹を決めるしか道はない。私はその時が青年の上に一刻も早く来るのを祈るばかりだ。今は12月末。やがて春が来る。冬の後には春が来るのだ。青年の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし‥‥君の脱ぎ捨てた靴下やシャツは、「百花の魁」の蕾のほころびの気配であることを心から祈る。』
私的には物語性を強く感じさせられた公演でした。今回も楽しみです。
そういえばブログで続きを書くつもりが、いまだ書けていません。私も「書くか、書かないかの境界点」にいるともいえるでしょうか。
せめぎ合いながら、生きていくのみですね。
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