三好由貴・木部与巴仁「イヒカとオシワク」 10月11日ノアスタジオ代々木B1

三好由貴さんと木部与巴仁さん( Kibe Dancer さん)のお二人による意欲作「イヒカとオシワク」。10月11日(金)、ノアスタジオ代々木B1にて行われます。

三好由貴・木部与巴仁「イヒカとオシワク」 10月11日ノアスタジオ代々木B1

三好由貴・木部与巴仁「イヒカとオシワク」 10月11日ノアスタジオ代々木B1

「イヒカとオシワク」。これは人の名前です。いや、正確には「日本書紀」や「古事記」に登場する古代先住民の神です。

少し調べただけなので間違っているかもしれませんが、イヒカは吉野首(よしのおびと)の祖とされ、オシワクは国栖(くず、くにす)の祖とされているようです。共に古代吉野あたりに住んでいた部族といわれています。さらに「ニエモツノコ(贄持之子/苞苴担之子)」という神もいたようです。ややこしくなるので、ここでは「ニエモツノコ」は無視します。

イヒカは、『古事記』では「井氷鹿」、『日本書紀』では「井光」と書きます。

オシワクは、『古事記』では「石押分之子」、『日本書紀』では「磐排別之子」と書きます。

イヒカとオシワクには尾が生えていたとされているようですが、腰に巻いた獣皮のようなものが尾に見えたというのが有力な説となっています。他には意思疎通ができない動物的な蛮族という意味合いがあるという説とか、中国にいた「犬戎」という部族が出自であるという比喩的な説など、いくつかあるようです。

ここまで読まれて理解できたでしょうか? 私はピンときてません。ごめんなさい。

 

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Kibe Dancer さんのfacebookでの投稿を読むと、この舞台は古代先住民の物語をダンス作品にするという単純なものではありません。能の演目にある「国栖(くず)」に対する違和感のアンチテーゼといったところのようです。

能の演目「国栖」は、古代先住民が大友皇子に都を追われた天武天皇を助ける物語です。しかし、そもそも国栖は大和朝廷軍に滅ぼされた存在であり、天皇をかくまうことに木部与巴仁さんは疑問を抱いたそうです。

そこで生まれた作品が、「イヒカとオシワク」です。

今回の作品は、古代先住民の純粋な気持ちを真っ直ぐに表現しようとする試みなのかもしれません。

 

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きっと私の説明では意味不明だと思われます。「イヒカとオシワク」についてwikiで調べても、いまいち要領を得ない内容になっています。そこで各自で咀嚼してもらえるように國學院大學のリンクを貼っておきます。興味のある方は、補助線としてご確認ください。

・井氷鹿(ゐひか/いひか)
https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/ihika/

・石押分之子(いはおしわくのこ/いわおしわくのこ)
https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/iwaoshiwakunoko/

 


 

木部与巴仁さんからのメッセージ

私にとっては難解な部分もあったので、木部さんに文章の確認をしていただきました。さらに! なんと! 長文のメッセージまでいただきましたので、転載いたします。公演の内容が少しでも伝わり、興味を持ってくださる方が一人でも増えれば幸いです。

 

あるダンス公演の会場で、おそらく10年近い時間を隔てて再会した渡辺宏さんが、「イヒカとオシワク」を支援する文章を書いてくださった。ありがたいと思いながら、渡辺さんと、彼の文章をお読みくださる方々へのメッセージを書く。

天皇の軍が、日本列島各地の先住民を滅ぼしていった事実に、最も早く憤りを覚えたのは、「常陸国風土記」にある、土蜘蛛掃討の話を読んだ時だ。天皇軍は、山の横穴に暮らしていた彼らに対し、その留守を狙って穴を茨で塞いだ上、襲いかかった。土蜘蛛に逃げ戻る場所はなく、全身を傷つけ死んで(殺されて)いったという。その後、生き残った土蜘蛛が叛乱を起こしたといわれるが、当然だろう。叛乱者も返り討ちにあったという。怒る他はない。これのエピソードが、茨城という県名の起こりになっている。

イヒカもオシワクも土蜘蛛と変らない。国栖とも呼ばれ、これは自称か他称か不明だが、おそらく、先住民を蔑んで呼んだ他称だろう。全国に国栖や土蜘蛛と呼ばれた者はいたが、住む所が違うのに、全員が国栖や土蜘蛛であるわけがない。土地々々で違う名前があったのだ。この憤りの記憶を元に、“イヒカとオシワク”は創られる。渡辺さんが、「日本書紀」と「古事記」を参考にして文章を書いてくださった。「古代先住民の純粋な気持ちを真っ直ぐに表現しようとする試み」とも表現してくれた。それに他ならないのである。

木部さんからメッセージをいただいたことで、さらに理解を深めることができました。ありがたいことです。感謝。

メッセージの中に出てくる『常陸国風土記』関連の情報を調べたので、補足として追記しておきます。

 

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『常陸国風土記』は奈良時代に作られたもので、当時は60余国の風土記があったとされています。しかし現存するのは『常陸国風土記』の他に『出雲国風土記』『播磨国風土記』『肥前国風土記』『豊後国風土記』だけ。5つの風土記のみが現在に伝えられています。

土蜘蛛については、「狼の性、梟の情ありて、鼠のごと窺ひ、狗のごと盗む。招き慰へらるることなく、弥、風俗に阻たりき(狼のように凶暴で、フクロウのような不気味さがあり、ネズミのようにコソコソとし、犬のように素早く盗む。招き寄せようとする人もおらず、さらに世の中から隔絶されていった)」という記述があります。まさに差別の原点といえそうです。

 

いまさら気づきましたが、「国栖(くず)」って、人を軽蔑するときに使われている言葉「クズ」の由来なんでしょうね。

 

そして茨城という県名が『土蜘蛛を滅ぼすために「茨(うばら/いばらと読むようになったのは室町時代から)」を仕掛けた「城(き)」を造った』ことから付けられたことも知りました。ちなみに県花はバラ。なかなか業が深いですね。「水戸の三ぽい(理屈っぽい・怒りっぽい・骨っぽい)」なんて言葉がありますが、妙に説得力が増してきます。ちなみにオセロゲームは茨城県が発祥。白黒つけるというハッキリした決着方法も県民気質なのでしょうか。

 

かなり話が脱線してしまいました。

 

今回紹介するパフォーマンスは、非常に深い内容だと感じられます。そして、私の考えすぎかもしれませんが、木部さんは「現在の社会状況に対して一石を投じたいという想いもあるのではないか?」なんてところまで意識しているのではないかと思ってしまいました。

<関連リンク>

◎常陸国風土記
https://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/fudoki/people/index.html

◎近代茨城の肖像>(25)茨城県 県名誕生、歴史に由来
https://www.tokyo-np.co.jp/article/289578

◎つちくも
http://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=31954

 



<公演詳細>

『イヒカとオシワク』

出演:三好由貴・木部与巴仁( Kibe Dancer )
日時:2024年10月11日(金) 19時開演(18時30分開場)
料金:2,500円(ご予約2,000円)
会場:ノアスタジオ代々木B1(東京都渋谷区千駄ヶ谷4-24-19)
アクセス:山手線「代々木駅」西口より徒歩約7分、総武線「千駄ヶ谷駅」より徒歩約5分、副都心線「北参道駅」1番出口より徒歩約3分。
https://www.noahstudio.jp/shop/yoyogi/b1st.html

予約はお二人に直接、もしくは 「kibedancer@gmail.com

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