10月22日(火)、ストライプハウスギャラリーでの深谷正子さんダンスソロ公演『入射角がずれる その2』。立ち会いの記録「見たこと、感じたこと、考えたこと」。
公演中に私の頭の中で浮かんだこと、振り返りからの再確認、公演前後の雰囲気や空気感なども含めながら書き殴った記録的な文章である。ライブ感をできるだけ残したいので、時間経過に重きをおいている。
8・9・10月公演と連続で公演から1ヶ月ほどが経過してからの投稿になっている。気持ちが熱いうちに書くことがベストだが、時間が空いてしまうのが仕方ない(と、自分を過剰に追い込まないことにした)。できれば深谷さんのように自分を追い込みたいが、無理しないことも大事。なにより書き残すことが大事。
いきなり言い訳から始まってしまったが、そういったわけで今回も自分の記憶と思考を検証する内容。
公演の画像が気になる方は、facebookで「入射角がずれる その2」「動体観察 2daysシリーズ」あたりで検索してもらうと出てくる。
目次
錆びたベッドマットレスのスプリングと踊る
まずは公演直後にfacebookにアップした内容を掲載。
こちら。
念のために転載しておきます。←小さい文字で
深谷正子『動体観察2Daysシリーズ 10月版』初日〜深谷正子ダンスソロ 極私的ダンス「入射角がずれる その2」。
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「みなさんの目の力で、やりきることができました。ありがとうございました」。前回9月の終演後の言葉「皆さんの熱い眼差しが突き刺さり、エネルギーが湧いてきた」とシンクロする。昨年11月の「七針(八丁堀)」から始めた月1回のソロ公演は今回で12ヶ月目。さらに他の公演もある。いくら怪物だったとしても、さすがに消耗してくるのだろうか。しかし、見ている側には消耗しているようには感じられない。
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舞台は錆びたベッドマットレスのスプリング、ひっくり返った小学校の学習椅子、むき出しとなった根の塊などが置かれた荒涼的な空間。暗転から登場した深谷さんはシモテ側のスピーカーの上。微動だにしない。朽ち果てた空間に足を踏み入れることに躊躇しているのだろうか。何を見ているのだろう。視線を下に向ける。まわりを見渡す。遙か先を見ているようでもある。まっすぐと伸びた視線により、一気に空間が膨らんでいく。見ている側もいつしか深谷さんの世界に取り込まれていく。
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カミテ奥に立てかけられた錆びたスプリングと対峙する。コンタクトする。揺らす。移動を試みる。深谷さんはのけぞり、爪先立ちとなったり足裏の外側に体重を預ける。身体の傾斜が大きくなる。不安定な体勢だが、反対に力強い安定感が伝わってくる。いつしか舞台中央に引きずり出されていくスプリング。スプリングに身体を預けながら顔を掌で何度も押さえ、覆う。抗し難い自身の性(サガ)を受け入れてしまうような切なさや葛藤が続く。覚悟を決めたようにスプリングの上に横たわるも、動きは止まらない。スプリング上で右へ、左へと激しく転がる。最後は頭部から肩口までがスプリングからズリ落ちていく。激しい「テレビの砂嵐のような音」が流れ、ゆっくりと暗転。『動体観察2Daysシリーズ』は12月まで続くのだが、深谷さんのソロダンスは11月22日がラストとなる。次回がいまから気になる。
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本日は『動体観察2Daysシリーズ 9月版』2日目。「音と身体(山㟁直人・やましん・富士栄秀也)」。シリーズの中ではかなり異質で刺激的な内容になりそう。開演は19時〜、チケット状況は不明なので、出演者などに要確認。簡単な紹介記事はこちら→ https://heart-to-art.net/improart/blog015-doutai-kansatu-20241022/
剥き出しとなったスプリングとのコンタクトが中心となった今回の公演。錆びた朽ち、不安定な動きをするスプリングとの踊りは、深谷さん自身が置かれている現在の状況との格闘や試行錯誤の表現といえるものだったのではないだろうか。
そこには生きようとする意志、立ち向かうとする意欲、思うようにいかない葛藤が凝縮されていた。
ということで、今回の公演について。
深谷正子さん「動体観察2Daysシリーズ・10月22日バージョン」の深堀り
灼熱地獄のような2024年の夏が過ぎ、季節は秋。10月後半ともなると日が落ちるのが早くなる。18時を過ぎると、すっかり暗くなってしまう。ストライプハウスギャラリーのエントランスから見える六本木ヒルズの照明だけが闇夜の中で際立った輝きを放っている。
六本木ヒルズは現在の東京の象徴的な存在である。しかし、その輝きは私には虚しく映った。「灯滅せんとして光を増す」という言葉がある。蝋燭が燃え尽きる前に一瞬だけ輝きを増すような例えである。未来の希望を感じさせるというよりも、滅びすら予感させる六本木ヒルズの光であった。
開演前、まだ開場時間に少し早いタイミングで深谷さんはエントランスで同じように六本木ヒルズを眺めていた。私は後ろから声をかけることはしなかったが、深谷さんの目にはどのように映ったのだろう。想像するに、美しさを純粋に感じていたのではないだろうか。深谷さんの表現は深く重い印象だが、普段のご本人は非常にポジティブでイノセンスな部分が強いと感じている。そのギャップが魅力であり、面白い。
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会場に入る。
舞台カミテには錆びたベッドマットレスのスプリングが立てかけられ、中央やシモテ側には小学校の学習椅子がひっくり返っている。さらに、むき出しとなった根の塊。見るからに荒涼的な空間。照明は6灯。舞台をぐるりと囲んでいる。
用意された美術は、時間の経過、自身の姿の投影、自身を取り巻く歴史などをイメージしたものだろうか。もはや用無しで廃棄されるだけを待っている錆びたスプリングはサイズの大きさもあるが、迫りくる危機感すら感じられた。
開演時間の19時となる。お客様が到着していないので5分押しとなる、と告げられる。このシリーズはいつも満員なのだが、今回はいつもよりの来場者が多い印象。ぎっしり。
開演前の余白時間に「深谷さんはこの3つのアイテムを全部使うのだろうか?」という素朴な疑問が頭をかすめる。
そして5分押しで開演。暗転からカミテ照明に光。深谷さんの姿が見えない。続いてシモテ側の光が照らされ、うっすらと浮かび上がる深谷さんの姿。舞台スミに配置されたスピーカーの上に立っている。いや、佇んでいる。立ち止まっていると表現した方がいいだろうか。むずかしい言葉を使うのは好みではないが、「黙然(もくねん)」としている。黙然とは、口をつぐんでいるさまを表す言葉。胸に去来する想いを言葉にせずに噛み締めているような印象だ。
遠くから風のような、波のような音が微かに響いてくる。これが音響のサエグサ氏によるものなのか、建物の外から伝わってくるものなのは判断つかない。
スタートから5分ほどが経過。微動だにしないで何かを見ている深谷さん。視線の先には何が見えているのだろうか? ご自身の過去か、それとも未来か、いや、もしかすると自身に向けらている観客の視線を感じようとしているのかもしれない。私は前回9月22日公演「自我、溝にはまり込む(公演の感想はこちら→ https://www.heart-to-art.net/BLOG/moving-body-observation2024-09-22 )」でもスピーカー上での絡みが長い時間あったので、「もしかして前回の続きかもしれない?」と予想しながら、つぎの展開を見守っていた。
19時12分あたりで足元の照明が光る。ゆっくりと右腕を挙げる。角度にして30度ほどか。そして90度へと挙げていく。このあたりの間合いは、絶妙だ。動き優先ではなく、気持ちが満ちてから動くといったところか。このタイミングで、また微かに音が。自動車のエンジン音なのか? それともサエグサ氏の音響なのか? 音に反応したのかどうかはわからないが、なんらかの気配を感じたような仕草をした後、ゆっくりと上半身を揺らめかせていく。身体の揺らめかせながら視線が下方へ向けられる。深谷さんにとってスピーカーの下にはどのような景色が広がっていたのだろうか?
19時15分前後になると、何かを見つけた(ように感じられた)深谷さんは、右手を挙げ捻じり、くねらす。ほんのわずかだが前のめりとなり、膝を少し折る。中腰になったまま右手、そして左手も挙げていく。前傾姿勢のまま両腕を操作しながら身体を沈め浮かすの上下運動。そして動きが止まる。スーッとスピーカーの上で腰を落とし、そのまま座り込む。スピーカーの上で、居心地が悪そうな様子で身体をくねらしていく。
開始から15分が過ぎ、「このままスピーカー上での踊りが続くのかも?」。そう思った矢先、床に足をつける。しかし、依然として身体は不自由さを感じさせる動きが続く。
ここでいきなり何かを叩いたような衝撃音がカットイン。音に奮い立たされたようにスピーカーの上で立ち上がり、右手をゆっくりと掲げたところでシモテ側の照明がフッと消える。残されたのはカミテの明かりのみ。薄暗い中で右手を真っ直ぐに伸ばし、さらに身体全体がグイと伸びていく。自らが伸ばしているようにも、何かに引っ張られていったようにも感じられたが、明らかに心に意志が宿った印象を受けた。
話がガラリと変わるようで申し訳ないが、先日、私は終活講座で20人ほどの遺影撮影をした。70代、80代にもなると、やはり姿勢が前かがみになっている人が多い。「じゃ、ちょっと伸びをしてみましょうか(笑顔)」などと言いながら撮るのだが、猫背を少し伸ばすだけで若く見えるし、なにより身体に活力が出てくる。
深谷さんはもちろん姿勢は抜群にいいが、伸びをすることで、さらに一層、気の充実が感じられた。
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開始から20分。決意したようにスピーカー上から踏み出していく。徐々に、ゆっくりと。動きに合わせてシモテ側の照明が灯され、舞台を囲む6灯も動きに反応しながら徐々に明るくなっていく。深谷さんは舞台中央に歩みを進め、両手をくねらせていく。ここで衣装がハッキリと確認できたのだが、衣装は白いパンツにカーキ色のシャツを羽織っており、内側には白いシャツが見える。非常にカジュアルなもの。日常の心境を描き出そうという意味合いがあったのだろうか。
先程、“ 決意したように ” と書いたが、見ているうちに気のせいか違和感を覚えた。どことなく不安定さが感じられた。足元を見ると、両足とも足の外側(小指側)で立っている。なぜ足裏でしっかりと立たないのだろうか。そんなことを思っているところで振り返って観客に背を向け、両手を後ろ手に組み、よたよたと舞台後方へ歩き進み始める。少し前傾姿勢だったこともあるが、まるで受刑者が観念して歩いているような姿にも見えた。
まるで朽ち果てた荒涼的な空間の中に沈んでいくような雰囲気。しかし、ここで雰囲気が一変する。組んだ両手を解き放ち、グイと両手を後方へと伸ばし、きびすを返す。観客と対峙し、両手で何かを持ち上げるような仕草を見せる。カッと見開いた目には、力が宿っている。身体をやや斜めに傾斜させつつ、シャツを左手で、そして右手で開く。明らかにポジティブな意志が感じられる。そして、ここでサエグサ氏の音が一瞬だけ入り、動きがストップする。
今回は公演を見ながら、音のタイミングが心に刺さった。ヘタすれば事故ってしまうような音を鋭く差し込んでくるのは簡単にできることではない。深谷さんの公演では、音響も照明も事前に段取りは決めてはいないと聞いている。サエグサ氏は深谷さんの心の満ちた瞬間をキャッチし、逃さずトリガーを引くように音を入れている。ただ者ではない。
記憶違いだった申し訳ないが、サエグサ氏はニパフに出ていた演者ではなかったか? 2000年頃から数年くらいはニパフが気になって観に行っていたときがあった。気になって検索してみると、どうやら記憶違いではなったようだ。これ以上突っ込んで書くと脱線してしまうのでヤメておくが、玉内氏の照明とサエグサ氏の音響の絶妙な後押しは誰にも真似ができないものだ。
深谷さんがダンスの相手に選んだのは……
一旦は動きが止まった深谷さんだったが、徐々に後ずさりして舞台奥の壁に背中をあずける。横には錆びたベッドマットレスのスプリング。壁に背をつけながら身体を傾ける。45度ほどか。片足で立ちながら傾けた身体をさらに横に倒し、傾けていく。スプリングに手が伸び、手が触れる。開始から美術に触れるまで約30分ほど。存在感的にもスプリングを選ぶとは思っていたが、やはり、そうだったか。
スプリングとのコンタクトワーク。右手を水平に伸ばしながら、爪先立ちでのけぞる。不安定な状態だが、安定感がある。危うさと力強さが同居するような姿。スプリングを玉内氏やサエグサ氏、さらに取り巻く仲間たちだと見立てているようにすら感じられる。いや、ひょっとすると半世紀も独自の公演を続けてきた自分の姿だったのかもしれない。
30度ほどの角度で斜めに置かれていたスプリングに右手をかける。眼差しが力強い。グイとスプリングを立て、静かに揺らす。さらに手を伸ばし、ゆっくりと持ち上げて移動を試みる。立てられたスプリングがヨコになる。ここで照明の明るさが増す。力強い表情が強調される。
持ち上げて移動させることは断念したようだが、今度は押し出してカミテ奥から中央へと移動させようと試みる。両手を使い、片手をかけ、身体を沈めて力を込め、のけぞりながらスプリングとの踊りが続く。スプリングが揺れる。照明によってできるスプリングの影がモダンな味付けをしている。
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明るかった照明が徐々に暗くなり、シモテ側上下の2灯のみとなる。ここでドン! と音が一瞬差し込まれる。スプリングから手を話し、額、そして顔を右手で押さえる。思うようにスプリングを動かせないやるせない気持ちなのか、それとも……。引き続き、右手でスプリングを持ち、のけぞり、身をあずけ、顔を覆う。何度も、何度も顔を覆う。次第に顔を覆う時間が長くなっていく。そして、自分の思っているように踊れないといったような、切ないような、気持ちが途切れたような表情となる。
ここでスプリングから離れる。スプリングは立ったままの状態。ここでスプリングとの踊りは終わってしまうのか? しかし、思い直したように前傾姿勢となり、スプリングに手をかける。私にはなぜかスプリングをわざと倒そうとしているようにも見えた。自分の力を確かめるように倒れそうになるスプリングを抑える。ふんばる。しかし、最後は倒れてしまう。今度は身体をくの字に折り、腕と足で倒れたスプリングを挟み込もうとする。もう一度、スプリングとの踊りは叶わないのか? 最後は右手の人差し指で引っ掛け、なんとか倒れないようにとする。しかし、バタン。スプリングが床に倒れる、いや、落ちる(墜落)という表現が近いかもしれない。この時点で45分ほどが経過。
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スプリングとの踊りはこれで終わってしまうのか?
深谷さんは落ちてしまったスプリングの前で仁王立ちとなる。今度はスプリングの上へ足を進める。歩こうとするが、揺れるスプリング。不安定。前のめりとなり、倒れ込むようにスプリングの上で横になる。
倒れたスプリング、そして自分自身も倒れ込んでしまった。
しかし、それでも踊りは続く。
横たわった状態で、右足を上げる。身体を右へ左へと転がす。動きが激しくなっていく。勢いがついた身体がスプリングから落ちそうになるが、落ちそうで落ちない。どんな状態になっても、踊りは終わらない。
激しい動きが静まり、仰向けの状態でまわりを見渡している。……次第に観客の方に向けられた頭から首へ、そして肩口へとズリ落ちていく。
徐々に照明が落ちていく。この時点で20時前。スタートから55分ほどが経過。
ついにスプリングとの踊りも終焉となってしまうのか?
ここで自然音に加え、抽象的なサウンドが流れてくる。照明はカミテとセンターのみが残されている。横たわる深谷さんの姿が明暗のコントラストの中で浮かび上がっている。
これで終わりかと思いきや、カミテから2灯の照明が新たに加わり、舞台に明るさが増していく。強いコントラストだった深谷さんの姿が明るさに包まれ、輝いていく。横たわる深谷さんのゆっくりとした動き。ここでピアノ音がポツリ、ポツリと流れてくる。そして、スプリングとの踊りも消えていく。明るかった照明が動きに合わせるように徐々に消えていく。カミテ、そしてシモテ、センター照明だけが残された中で、突然に風? 砂嵐?のようなサウンドが大音量となって空間全体を満たしていく。いままで聞いたことがないような爆音。まるで深谷さんとスプリングとの踊りに対する万雷の拍手のようでもあった。
そして、いきなりの爆音のカットアウト。そのまま照明もカットアウトするかと思いきや、しばらくそのまま空白の時間が流れる。文章でいえば、「行間」のような時間。そこからゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと、暗転。音と光のコントラストが見事。
闇に支配された空間に流れるピアノ音。
そして20時3分、終了。
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終演後、まず第一声は「音響、サエグサユキオ。照明、玉内公一。(暗闇でスピーカーまで)手を引いてくれた津田犬太郎」とスタッフの紹介。そして冒頭で紹介した「みなさん(みなさま、だったかも)の目の力で、やりきることができました。ありがとうございました」と続いた。
歪みやズレを題材にした『入射角がずれる』
ここまで書いて、当日パンフに目を通す。
『入射角がずれる』は2021年9月17日に 中野テルプシコールで初演された。2011年3月11日の東日本大震災後に朝日の入射角が少しズレているように感じたことが題材のきっかけになったそうだ。
そして今回。コロナ、そして老いによって自分の身に起きる意識の歪みやズレの感覚を表現したいという想いから、『入射角がずれる その2』とした。
今回、深谷さんは歪みやズレをどのように表現したかったのか? やはり、抗いたかったのか?
いや、そんなレベルではない。
今回の公演は、深谷さんにとって、すべてをありのままに受け入れることを確認するものだったのではないだろうか。
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さて、現在は10月20日の深夜。いや、21日の明け方か。そして、11月22日(金)には「動体観察2Daysシリーズ 陰謀のように打ったねがえりを その2」が行われる。
もう残り席はほとんどないだろうなぁ。だけど気になる方はぜひ問い合わせてみて!
Facebookイベントページ
https://www.facebook.com/events/1121900055776919/1121900092443582
以上!
(注)記事内で記載した公演の時間経過と内容は目安です。おおよその流れです。メモが間違っている部分、読み間違いしている部分があるかもしれません。どうぞご理解ください。
公演情報
深谷正子ダンスソロ『入射角がずれる その2』
動体観察2Daysシリーズ・10月22日バージョン
日時:2024年10月22日(火)・19:05開演
会場::六本木ストライプハウスギャラリー・スペースD
出演:深谷正子
照明:玉内公一
音響:サエグサユキオ
舞台監督:津田犬太郎
協力:玉内集子・曽我類子・友井川由衣