9月22日(日)、ストライプハウスギャラリーでの深谷正子さんダンスソロ公演『自我、溝にはまり込む』。立ち会いの記録「見たこと、感じたこと、考えたこと」。
公演中に私の頭の中で浮かんだこと、振り返りからの再確認、公演前後の雰囲気や空気感なども含めながら書き殴った記録的な文章である。ライブ感をできるだけ残したいので、時間経過に重きをおいている。しかし、今回はあえて時間経過は無視した。
前回の8月公演の感想もそうだったが、今回も公演から1ヶ月ほどが経過している。放置しているわけではないが、時間を空けるのは今回を最後にしよう。深谷さんが自分自身を追い込んでいるんだから、こちらも自分を追い込んでいかなければお話にならない。
今回は自分の記憶と思考を検証するような内容になりそうな気がする。
公演の画像が気になる方は、facebookで「自我、溝にはまり込む」「動体観察 2daysシリーズ」あたりで検索してもらうと出てくるはず。インパクトがある画像が出てくるはず。
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今日は、10月19日。時間はとうに20時を過ぎている。
明日は街のイベント。早めに休みたいが、ここで書いておかないと原稿を落とすことになりかねない。相変わらずわかりにくい表現も多いけど、書くことに意義あり! そこには異議は認めない! しかし、文章の批判は大歓迎!
ここで急ぎの仕事の連絡。しばし修正作業。小一時間ほどの中断。そして時間は21時過ぎ。
いかん。電池切れ。
目次
「できることなら今回は書きたくない」と感じた理由を深堀りする
結局、20日の夜。もう22時半。しかし、諦めないこと大事。
まずは公演直後にfacebookにアップした内容を掲載。
こちら。
念のために転載しておきます。
深谷正子『動体観察2Daysシリーズ 9月版』初日〜深谷正子ダンスソロ 極私的ダンス「自我、溝にはまり込む」。
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「前日までもがき苦しみ、出がらし状態になっていた。しかし、皆さんの熱い眼差しが突き刺さり、エネルギーが湧いてきた。いまが一番幸せな時間です」。公演を終えた後の深谷さんの言葉。公演時間は55分程度。個人的には体感的に30〜40分程度。あっという間の時間だった。立ち会った人たちは、どのように感じたのだろう。終演後に何人かと話をさせてもらったが、それぞれの心に強く響くものがあったようだ。
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私といえば「今回はできることなら書きたくない(正確には、起きたことをそのまま書いても意味がない)」と思ってしまった。何を書いていいのかわからないと思いながら、何かを伝えたいと気持ちは膨らんでいく。何かを探っている。これは即興の、いや深谷正子さんという深淵な “ 沼 ” に足を突っ込んでしまったのかもしれない。
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今回の公演について……現時点で最初に浮かんだのは、「音響のサエグサユキオ氏による多様な音の後押し」と「照明の玉内公一氏による明るめの演出(のように私は感じられた)」の頼もしさ。お二人が深谷正子さんの魅力を観客に届けようとしている気持ちが強く感じられた。お二人の音と光の相乗効果から引き出された深谷さんの「表現の振り幅」や「モノ(今回はハンガー)や外界に対する感受性の強さ」が印象的だった。
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さて、今回はいつものような長文は書けるのだろうか。いや、私が出がらし状態なってるわけにはいかない、ね笑。あ! それから10月14日公演の宣伝もさせていただき、感謝です。ありがとうございました!
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明日23日は、『動体観察2Daysシリーズ 9月版』2日目。小松 亨ソロ「VOID」(開演:16時〜)。行ける方は、ぜひ!
https://www.facebook.com/events/1121900055776919/1121900072443584/?active_tab=about
『できることなら書きたくない』と書いたが、今回はこれに尽きる。
「書きたくない」と思ったのは、難解で意味不明だったというわけではない。むしろ具体的イメージが多種多様すぎたために整理しようがない、という状態だったからだ。ひとつの場面から想像できることが多すぎた。もしかすると深谷さんも同じ状態だったのではないだろうか?
公演のほとんどの時間、深谷さんは核心を探し求めているように見えた。さらに音響のサエグサユキオ氏と照明の玉内公一氏は深谷さんの様子に気づいて後押し(手助け?)をしていたようにも感じられた。「深谷さんがご自身の内側から何かを掴み出そうとするベクトル」と「外側の音や照明に反応しつつ何かを掴み取ろうとするベクトル」という相反する意識のベクトルが交差する時間でもあった。この矛盾するベクトルを感じた私は、自分の中で折り合いがつかなくなり、「書きたくない」となってしまったのだろう。
ハンガーは何だったのか? あえて深い意味はないと仮定してみる
今回のポイントは、ハンガーという小道具に対する考え方に尽きるのではないだろうか。
使われたハンガーは2本。1本は最後まで宙に吊り下げられたまま。もう一本は深谷さんの身体の一部のように同化していた。
最初から最後まで深谷さんと同化していたハンガーの存在は、見ている側の想像力をかきたてるものだった。
公演後に数名と話してみたが、ハンガーの解釈はさまざまだった。「子ども」と感じた人もいたし、「深谷さん自身」に間違いないと確信した人もいた。他にも2本のハンガーを「深谷さん自身の現実と理想」と捉えた人もいるだろうし、「他人と自分」と解釈した人もいるだろう。
じつは、私も同じように感じた。大袈裟に言うと、深谷さんの表現は猫の目のように変わっていった。だから混乱した。舞台空間も地中や雲の上など、場面によって変化した。結論から言ってしまうと、先ほども書いたが、自分の中で深谷さんの表現のベクトルの整理がつかなかった。
もしかすると今回の公演で重要な意味がありそうなハンガーは、単なるハンガーに過ぎず、実際は深い意味はなかったのではないだろうか。
あえて意味づけするとすれば、深谷さんにとっては、“ 何か ” との交信機といったところだろうか。
ハンガーにあえて深い意味を持たせないと、深谷さんの本質らしきものが浮かび上がってきた。
ということで、今回の公演について。
深谷正子さん「動体観察2Daysシリーズ・9月22日バージョン」の深堀り
会場に入る。床には音響のシールド、さらに黒い麻紐のようなものが無造作に放置されている。照明の数は少ない。3灯ほどか。隅にはスピーカーが2台。舞台監督の津田犬太郎さんから10分押しが伝えられる。ぼんやりとしながら開演を待っていると、何かが吊り下げられていることに気づく。なんだあれは? 目を凝らしてみると、それは木製のハンガーのようなものだった。床のことしか気づかなかった。凡ミス。ハンガーらしきものに近づきたかったが、開演直前で断念。
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そして暗転。空間に身体を揺さぶるような地響きのような轟音が流れる。ゴゴゴ、ゴゴゴゴ、ゴゴゴゴゴ。地鳴りによって不穏な雰囲気に包み込まれる。1〜2分程度続いただろうか。照明の光が中央に当てられると、紐に吊るされたハンガーがゆっくりと円運動しながら揺れている。静かに揺れるハンガーは、徐々にスピードを落としていく。この場面は非常に美しかった。見とれてしまうほどの美しさだった。
雷音のような、地響きが続く。闇の中からぼんやりと浮かび上がった深谷さんの左手にはハガー握られている。ゆっくりと足を踏み出すが、目的地が見えていないようでもあった。身体を傾け、視線は遙か先を見ているような、何も見ていないような、まるでピントが合ってないように感じられた。
そこに飛行機のエンジン音のような機械的な音がフェードイン。次第に大きくなる金属音に呼応するように身体をくねらせていく。ほどなくして音は止まるが、身体の動きはそのまま。このときに私は地中を浮遊しているようなものに感じられた。地中を浮遊するということは実際にはありえないが、地中で身動きがとれない状態の中で魂が浮遊しているといったところか。
今度は小さなノック音のようなものが遠くから聞こえてくる。ハンガーを左手から右手へ持ち替え、ハンガーを角を頬にあてながら前へ歩みを進める。ハンガーの角で頬から顎へとなぞる。ゆっくりとなぞっていく。ハンガーを頬に押し付けながら、ゆっくりと手首を動かしていく。この場面あたりの行為が見る側に大きな影響を与えることになったかもしれない。吊り下がっているハンガーの存在と頬に押し付けたハンガーという二本のハンガーの存在を意識するかしないかで、見ている人の印象はだいぶ変わったのではないだろうか。ちなみに私は吊り下げられたハンガーはまったく気にならなかった。
ハンガーを右手から左手へ持ち替え、シモテへ身体を流し、右手を挙げる。激しく左手を上下させ、震えるような仕草から急に動きが止まる。そして、何かに怯えるように後退りしていく。その動きに同調するように音響のサエグサユキオ氏がボリュームを上げる。このあたりの音量のタイミングは絶妙だった。
私には手を挙げる行為は、地中という結界を破るような意志のようなものを感じた。「上げる」ではなく、挙げるとした。しかし、いま振り返って考えてみると、深谷さんにとっては確固とした意志を持っての行為ではなかったようにも思える。
今後の展開もハンガーに焦点を合わせると、いろいろな状況が想像できるのは間違いない。しかし、もしかすると深谷さんにとって今回の公演のテーマは、『無意識を呼び覚まそうとすること』だったのではないだろうか。
終演後に富士栄さんが「今日の深谷さんの展開は非常に速かった」と話していたのが印象的だった。さらにFacebookの投稿では「他のダンサーが時間を掛けないと行けないラインまで一気に跳べる。今回は、これが顕著だった。100回以上、150回未満くらい見ている中でも稀有な速さです」とも書かれていた。公演から一ヶ月経った現在も引っかかっていたのだが、もしかすると深谷さんはスポーツでよくいわれている「ゾーン」に早い段階で入っていたのではないだろうか。そう考えると、富士栄さんの「稀有な速さ」の説明もつきそうだ。
最近のトップクラスのアスリートたちの課題は、「意図的にゾーンに入ること」だそうだ。脳波トレーニングを行い、自分にとって最適な脳波の状態に向かうように仕向けるというから驚きだ。また、皮膚には刺激することで脳に信号を発信する「ポリモーダル受容器」というものがあることは医学的に明らかになっている。この「ポリモーダル受容器」の伝導速度は1秒間に50〜70メートルらしい。
前半部分で深谷さんにとってハンガーは “ 何か ” との交信機だったのではないかと書いたが、深谷さんは図らずもハンガーを頬などに押し付けることで無意識を呼び起こし、ゾーンに入ったに違いない、と思えてきた。こんなことを言っても、深谷さんは「そんなことは考えてなかったわよ」と笑いながら言葉を返してくるだろうが……。
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地中から抜け出したような様子に見えた深谷さんは、カミテ奥へ移動。そして脱力。徐々に全身から力が抜けていく。そしてスピーカーの前で突っ伏す。そしてハンガーをスピーカー当てながらスピーカーに腰掛けるように移動していく。
深谷さんの今回の衣装は黒系でザックリとした薄手のガウンのようなものだった。スピーカーと同系色だったせいもあり、まるで浮遊するように見える。両足を宙に上げ、静かに浮遊する。空気のような存在になっていく。深谷さんという肉体は存在しているが、まるで魂が離脱して空中を漂っているような印象。いつしか音は消え、空調の音だけがが響く。この空調の音だが、最初はサエグサ氏による風音だと思ってしまった。ちなみに今回は音が流されている時間はいつもより長いように感じられた(気のせいかもしれないが)。深谷さんの身体表現と音響が見事に同調しているように感じられたからだろうか。
空調の音が全体を覆う中で空中に身を預けるよう漂いながら右手を上げる。今度は「挙げる」ではなく「上げる」といった印象。まるでいままでの世界(地中?)とは異なる世界を手で感じ取っているようにも見えた。そして、浮遊状態からゆっくり立ち上がる。ハンガーは左手に握られたままだ。
ここで衣装に手をかける。自分にまとわりついた闇を振り払うようにガウンを脱ぐような仕草。今回の黒系衣装だが、私は最初から自らを闇のような存在に見せるために選んだものだと私は感じていた。結局、身体をうごめかし続けてはいたが、衣装が脱ぎ捨てられることはなかった。闇から脱したようにも感じたが、そうではなかったのか?
ここでスピーカーの背後に立てられた照明が点灯する。冒頭で静かに揺れていたハンガーは、静止している。ハンガーと光によってくっきりと映し出された深谷さんの影。心情を炙り出したような影とハンガーのコントラストが美しい。
情緒的なシーンに流れるピアノの音。無常感が漂う単調で不協和音的な曲。ここで倒れ込み、身体が硬直させる深谷さんは、まるで愛しいもののようにハンガーを抱き抱える。そして再びハンガーの角を頬にあてていく。ピアノ音が流れる中、寄せては返す波のように激しさと穏やかな動きが交差する。ここでピアノ音に金属系の音が重なっていくと、すくっと立ち上がり、ゆっくりと前へ出る。地中から空中へと浮遊し、自由になりかけた魂だったが、また新たな世界へと移行していくのだろうか。何かを探すように舞台をゆっくりとまわる。そして中央で起立する。無表情。まるで魂が抜け落ちたような空虚さが感じられる。指先が震え、ここまで肉体と一体化していたハンガーが手元から落ちる。サエグサ氏の音も消える。
無音状態で身を沈め、ゆっくりと両手を広げていったところでオペラが流れ始める。前のめりとなり落としたハンガーを掴み、愛しいものとの再会の喜びを全身で味わうように抱きかかえる。ハンガーを抱きながら身悶えしつつ横たわり、仰向けになったまま左足を挙げる。今回は上げるではなく「挙げる」。
動きが繰り広げられた場所は、吊り下がったままのハンガーのほぼ真下。ハンガーの角を頬ではなく、腹にあてていく。ここで深谷さんの身体が初めて吊り下げられたハンガーに触れる。ほんの一瞬だけの接触。意図したものだったのか、それとも偶然だったのかはわからない。そして腹にあてていたハンガーを頬へと移行させていく。
いつの間にか薄く流れていた効果音の音量が増す。音量に呼応して一気に動きが激しくなっていく。今度は手にしたハンガーを飲み込むように服で包み込む。呼吸が荒く激しくなっていく。吊り下げられたハンガーに近づいていく。一体化していたハンガーが身体からこぼれ落ちる。ここで吊り下げられたハンガーを頬にあてる。そして、徐々に両手を広げていく。ハンガーを手放し、舞台奥へと下がり、壁に身を預ける。ここで照明がゆっくりとフェードアウト。公演が終了する。
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55分ほどの公演だったが、私にはもっと短く感じられた。
ハンガーに深い意味はないと仮定して書き始めたはずの文章だったが、結局はハンガー寄りの感想になってしまった。
観客側はどうしても目に見るものを追ってしまう。しかし、今回は目に見えないものを追う必要があったように感じている。
「みなさんの熱い眼差しが突き刺さった。(毎月の公演が続く中で)出がらしになっています。前の日までもがいている。しかし、(みなさんの熱い眼差しの中での公演は)エネルギーが湧いてきます。いまが一番幸せな時間です」
観客に対して感謝する深谷さんの顔つきは、とても晴れやかだった。
自分自身を追い込み、問いかけを続けながら新たな可能性を探り、観客の反応を全身で受け止め感謝する。これぞ深谷ワールドといったところか。
最後に繰り返しになるが、音と光の相乗効果によって深谷さんの輝きが増していたことは念押しとして書き残しておきたい。音響のサエグサ氏は目には見えない深谷さんの感情表現を後押ししていたと感じたし、照明の玉内氏は終始一貫して深谷さんの内面を明確に観客に見えるように明るめをキープしていたように思えた。
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ここまで書いて、やっと当日パンフに目を通す。
当日パンフには51年前の作品の思い出が記されていた。1973年の新人舞踏公演の記憶だ。現在のように空き缶が簡単に手に入る時代ではなかった頃の話。当時は缶ではなく瓶の時代。ビールは瓶だったし。ジュースも王冠に当たり付きが仕込まれたスタイルが主流だった。そんな時代に必死になって空き缶を集め、本番では舞台一面に吊り下げたそうだ。
ここで立ち現れた言葉が、『自我、溝にはまり込む』だった。
現在も51年前と表現の核は変わらず、同じように溝にハマリ込んだまま身悶えしている自分を露呈しようとしたのが、今回の流れだったようだ。
なるほど。
もしかすると今回の9月22日公演は、深谷さんにとってターニングポイントになったのではないだろうか。
自我を溝の奥底に深く、深く、深く沈め込み、とことん掘り下げていく。この手法はかなりハードな道だ。
「極私的ダンス道」と呼んでもいいかもしれない。
しかし見る側は勝手だ。俄然興味が膨らんでいく。
先日、10月14日の『美術と即興』公演の際に10月のフライヤーを折り込んだが、10月22日公演のタイトルは明記されていなかった。
現在は10月21日の朝。そして、明日が本番。
すでにタイトルは決まっているのだろうか? もしかして今回はタイトルも決めないで本番に臨むような気すらしてきた。
その方が溝は間違いなく深くなるのだから……。
明日の本番に注目だ。
もう残り席はほとんどないだろうが、ぜひ立ち会っていただきたい。
Facebookイベントページ
https://www.facebook.com/events/1121900055776919/1121900075776917
以上!
(注)記事内で記載した公演の時間経過と内容は目安です。おおよその流れです。メモが間違っている部分、読み間違いしている部分があるかもしれません。どうぞご理解ください。
深谷正子ダンスソロ『自我、溝にはまり込む』
動体観察2Daysシリーズ・9月22日バージョン
日時:2024年9月22日(日)・16:10開演
会場::六本木ストライプハウスギャラリー・スペースD
出演:深谷正子
照明:玉内公一
音響:サエグサユキオ
舞台監督:津田犬太郎
協力:玉内集子・曽我類子・友井川由衣