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2023年11月18日の『ハート・トゥ・アート』活動日記です(80/300)
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簡単でも、短くても、活動の一環として更新していく雑文メモ。「80/300」というのは、「毎日は無理だけど、2023年には300回くらいは日記を書きたいな」という願望を込めたもの。残念ながら今年は300にはまったく手が届かない。どんまい。
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「ハート5行活動日記」については下記囲みからご確認を。
参考:
・「五行日記」的な活動日記で活路を開いていけ!|活動日記:2023年9月17日
https://www.heart-to-art.net/BLOG/activity-diary2023-0917
では、11月18日の振り返り。
目次
11月18日の「ハート5行活動日記」
(1)2023年11月18日の「天気」
晴れ。
(2)2023年11月18日の「ハート関連で何をしたか」
朝からポスティング。午後から展示を見に行く。それなりにギャラリーまわり。
「弥永隆広」展、「甲斐千香子」展、「深尾良子」展、「牧秀子」展、「和田幸三」展、「オーバーラップ Overlaps:インドの工芸の変遷と、その未来」展、「田中みづほ」展、「酒井信次」展、「シテンノイロ vol.5」展を駆け足で回る。
(3)2023年11月18日の「ハート関連の発信について」
9つの展示について感じることは多かったが、これを文章にまとめるのは骨が折れる。とりあえず「シテンノイロ vol.5」展だけ簡単な感想をfacebookにアップする。
そして自分のfacebookでは「シテンノイロ vol.5」の感想を引用し、下記のような感じで簡単にアップ。
・生と死を冷静に俯瞰して作品に昇華させた「弥永隆広」展(ギャラリー58)終了
・ユニークなアイデアを確かな技術で昇華させた「甲斐千香子」展(ステップスギャラリー)」終了
・いままで築いてきた自身のスタイルを崩そうと試みている「深尾良子」展(銀座K’s Gallery)終了
・遥か太古から現在に至るまでの時間の堆積と空気感を凝縮した「牧秀子」展(銀座K’s Gallery)終了
・宇宙誕生について考えさせられた「和田幸三」展(art space kimura ASK?)終了
・展示を見て、深尾さんの色彩がインド的のように感じた「オーバーラップ Overlaps:インドの工芸の変遷と、その未来」展(Gallery 5610)26日まで!
・えっ? これって自分で編んだの!? どうやって作ったの?? 感心することばかりの「田中みづほ」展(ギャラリーサロンドフルール)19日まで!
・これはチラシだよね? なにこれ、めっちゃ楽しい!だった「酒井信次」展(始弘画廊)終了
ラストはギャラリーストークス「シテンノイロ vol.5」。三者三様ならぬ四者四様の4人展は25日まで。線、にじみ、濃淡、色彩、量感、構成力など、視点を変えながら見るのがおすすめ。在廊されていた細井その子さん&ウチダミズホさんからいろいろとお話をうかがったので、ブログで掘り下げながら書きたい。。。他の展示についても書きたい。でも、そんなに書けない。ああああああ、、、、💦
(4)2023年11月18日の「今日の感想(よかったこと中心)」
展示に行っただけじゃつまらない。
いや、意味がない。
せっかくだから記事にしたい。
しかし書けない。
時間的な問題もある。ちゃんと書こうとすると頭を使うので、消耗する。結局、途中で断念する。
これを改善していかないと先に行けない。
そもそも頭で起きている事実を記憶できていない。インパクトがあっても、時間が経てばボヤッとした印象しか残らない。
せめて事実はしっかりメモする姿勢が必要。
そういえば数年前は自分だけの展示感想メモを必ず書いていた。
展示に行って、書けないことに対してモヤモヤしているというのは、そういう行為に真剣に向き合うことを自分が欲しているサインだと受け取って精進するしかないのだろう。
(5)2023年11月18日の「今後につなげたいこと」
そもそも『ハート・トゥ・アート』という活動はアート界に対する批判というか、アンチテーゼとしての行為だった。だから見かけは普通のイベントだったけれど、気持ち的には「作品」だった。
社会的な責任や意義が内在している主張(作品)だったから自分でも手応えがあったし、インパクトもあった。
しかし、いつしか迎合し、曖昧になり、目的も自分の安っぽい体裁のためへと変質していく。これが堕落のパターン。そして『ハート・トゥ・アート』は堕落した。
寺山修司は『思い出は失地回復の緑の土地になることもある』と言っているが、思い出補正した記憶に浸っている状態は、生きながら死臭を放っているようなもの。それに気づかず浮遊霊になっているようなもの。
「書くことに」「アート界の現状」ついてのアンチテーゼがあるならば、その方向で動いていく必要がある。もうすでにアンチテーゼには気づいているのだし。
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そういえば昨日の活動日記でも触れた芥川龍之介のエッセイ「侏儒の言葉(しゅじゅのことば)」(←クリックするとアマゾンのページに飛びます。以下リンク同様)でも似たような?とことが書かれている。
それは芥川龍之介が「道徳」について触れた12の箴言。
少ないので、部分的に意訳しつつて紹介しておく。
<芥川龍之介「侏儒の言葉」道徳について>
(1)道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。
(2)道徳の恩恵は時間と労力との節。損害は完全なる良心の麻痺である。
(3)道徳に反するものは経済の念に乏しいものであり、道徳に屈するものは臆病ものか怠けものである。
(4)我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳であり、何の恩恵にも浴していない。
(5)強者は道徳を蹂躙し、弱者は愛撫される。迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。
(6)道徳は常に古着である。
(7)良心は年齢と共に生ずるものではない。得る為には若干の訓練を要する。
(8)国民の九割強は一生良心を持たぬ。
(9)我我の悲劇は破廉恥漢の非難を受けることであり、喜劇は破廉恥漢の非難を受けた後に、やっと良心を捉えることである。
(10)良心とは厳粛なる趣味である。
(11)良心は道徳を造るかも知れぬ。
(12)良心は病的なる愛好者を持っている。十中八九、聡明なる貴族か富豪かである。
道徳に関して書かれている箴言だが、やたら「良心」が出てくる。
芥川には「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである」という有名が言葉がある。
きっと、芥川にとって「道徳(社会規範? ルール? 常識?)」のアンチテーゼが「良心」であり、その「良心」を実現するために文学を用いて昇華させようとが、結局は日常の「神経」に負けて自殺してしまう。
「良心」が強すぎたから「神経」がまいってしまった。そして鬱をこじらせたといったところか。
・ ・ ・
で、何を言いたいかというと、もし「良心」に気づいているならば、破廉恥漢の非難を受けても気にせず邁進すればいいということ。
「良心」に気づいていながら行動に移さないということは、生きながら死臭を放っているようなものである。
では、今日はここまで!
2023年11月18日(土)
以上
今回の記事は以上となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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