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2023年01月09日の『ハート・トゥ・アート』活動日記です(5/300)。
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表現者の言葉と活動報告を絡めた日記です。簡単でも、短くても、活動の一環として雑文を積み上げて(更新して)いきます。「5/300」というのは、「2023年は毎日は無理だけど、300回くらいは書きたいな」という願望が込められています。
今日の表現者の言葉は、志賀直哉です。
「正しく書く事によって初めて考えをより明瞭にかつ確実にすることができる」(志賀直哉)
「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉(←クリックすると、アマゾンのページに飛びます。以下のリンク同様)は、昨日の活動日記で紹介した武者小路実篤の盟友ともいえる存在です。
三日坊主の壁はクリアしたものの、なかなか四苦八苦中の活動日記です。そこで今回は「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉の名言から創作の秘訣を探し出そうとしました。志賀直哉はさすがに奥の深い人物です。調べると、エピソードが山ほど出てきます。そんな中で出会ったのが冒頭の言葉です。
「正しく書く」ってどういうことなんでしょう。
具体的な「正しく」という言葉の定義が見えてこないと、先に進めません。そこで、志賀直哉の「正しく書く」について掘り下げてみました。自分なりに行き着いた答えは、後半で。
『ハート・トゥ・アート』活動日記のアクセスは?
「あの『ハート・トゥ・アート』ですね! 知ってます! 会いたかった!」
イベントのチラシを飲み屋さんに置いてもらうために、当時は一日に何件もハシゴして巡っていました。すると、高円寺に憧れて上京した人と隣り合わせることもありました。
こちらは恐縮しまくりですが、こんな会話になることは珍しくありませんでした。
それはなぜか?
当時は「高円寺」で検索すると、トップページに『ハート・トゥ・アート』のサイトが出てきたからです。
時代はネット創世記。私などはタグを必死になって手打ちしながらサイトを作っていた時代です。その挙げ句に頻繁に更新していたので、検索結果で上位に来るのも当然だったといえます(もちろん活動休止中の現在では、トップ300……いや、トップ500にも入っていないでしょう)。
活動日記もマメに書いていました。日記だけでもそれなりにアクセスがありました(せいぜい数百アクセス程度だけど)。ちなみに残念ながら当時の日記は無料日記サービスを利用していましたので、すでにサービス終了で消え去りました(少し残骸テキストは残っている)。
そして今回の活動日記の再スタート。
いままでも何回も再スタートしています。しかし、ことごとく挫折。そして今回です。何度目の挑戦かわかりません。案の定ですが、今回こそは意地でも継続させようと心に誓いつつ、すでに心が折れ始めています。
心が折れ始めているといっても、書きたくないわけではありません。
むしろ書きたいのです。
でも、書けないのです。
なぜか?
書こうとすると、時間ばかりかかるのです。
なぜか?
凄いことを書こうとしているからなんでしょう。
アホです。
・ ・ ・
振り返れば、純粋にがむしゃらに日記を書き散らしていた頃は良かったです。何も考えていないってラクチンです。
小学校低学年の頃に「◯月◯日」みたいなタイトルで作文を書いたことがあります。起きてから寝るまでの一日を克明に書き殴った内容でした。
それまで作文なんて苦手でした。だからこそスラスラと書けた快感の記憶がいまだに頭の片隅に残っています。なんたって一瞬で原稿用紙10枚以上書けました。快感の記憶とは本当に恐ろしいもので、ウソではなく記憶に残っています。書いていた様子すら脳内で補正されて再現されるほどです。
やはり快感とは危険なものですね(苦笑)。
そんなことを振り返っているうちに辿り着きました。
あっ・・・もしかして?
書きたいのに書けない理由と、志賀直哉の言っている「正しく書く」がリンクしました。
志賀直哉の「正しく書く」とは?
冒頭の志賀直哉の言葉をもう一度。
「正しく書く事によって初めて考えをより明瞭にかつ確実にすることができる」
志賀直哉の文体の作法については、調べれば調べるほど出てきます。沼にハマりそうになります。
沼の中で志賀直哉の盟友である武者小路実篤が志賀直哉が亡くなる前年に送った手紙を見つけました。
直哉兄
この世に生きて君とあい
君と一緒に仕事した
君も僕も独立人
自分の書きたいことを書いて来た
何年たつても君は君僕は僕
よき友達持って正直にものを言う
実にたのしい二人は友達
昭和四十五年十一月十五日
実篤
志賀直哉の真骨頂は、「正直にものを言う」という率直さなのかもしれません。
率直さとは、装飾などの対極にあります。
志賀直哉は太宰治が嫌いだったようです。あからさまな批判をしています。子どもの悪口のように太宰をこき下ろしています。理由は太宰が虚飾の世界を書いていたからです。
・ ・ ・
芥川が「どうしたらああいった(志賀のような)文章が書けるのか?」と尋ねたところ、漱石は「文章を書こうと思わずに、思うまま書くからだろう。おれもああいうのは書けない」と答えたそうです。
・ ・ ・
武者小路実篤と夏目漱石のエピソードを補助線にすると、「正しく書く」が見えてきました。
志賀直哉の「正しく書く」とは、「正直に(虚飾を排し)、思うまま(率直に)書く」ということなんでしょう。
さて、活動日記の話に戻ります。
書き散らせばいいのか? いや、正しく書くためには正しく読み直せ!
小学校低学年の頃にスラスラ書けたのは、虚飾なしの事実だけを克明に書いたからです。
そのスタイルで書けば、活動日記も負担にならなくなるのかもしれませんね。
そういうわけで!
これからは書き殴りスタイルでいくことにしました!
・・・ん?
・・・いや
・・・本当に書き殴りスタイルでいいのでしょうか?
・・・
もう一度、志賀直哉の文章術を調べ直しました。
・・・わかりました。
志賀直哉は「推敲の鬼」だったようです。
長編小説『暗夜行路』は25年もの歳月をかけて仕上げましたが、推敲に推敲を重ねて、さらに推敲することで無駄を削ぎ落として完成させたようです。
つまり「正しく書く」とは、「正しく読んで推敲する」もセットだったんです。
推敲することで、「初めて考えをより明瞭にかつ確実にすることができる」わけです。
「正しく書く」と「正しく読む」がつながりました。
「正しく書く」とは、「(書いたものを読み、)考えをより明瞭にかつ確実にすること」なんですね。
やはり、志賀直哉は侮れないですね。結局は冒頭の言葉から始まり、冒頭の言葉に行き着いてしまいました。
つまり、読み手が自分のフィルターをかけてしまうと、文章が正しく伝わらないという好例いいともいえます。そして推敲とは、大事なことを隠してしまう行為ともいえます。だから文章に深みが出るわけです。
・ ・ ・
残念ながら志賀直哉のように推敲を重ねることはできませんが、活動日記を継続するコツの糸口が見えたような気がしました。
余談ですが、制作物を「排泄物」に例える人と「子ども」に例える人がいます。私は「どっちでもいいやん!」と思っていた時期もありましたが、やはり排泄物ではなく、産み育てるものだと確認が持てました。
では、今日はここまで!
2023年1月9日(月)
以上
今回の記事は以上となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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