『秤りあう尻尾のラプソディ』11月17日開催〜好文画廊にて

2024年11月17日(日)に『秤りあう尻尾のラプソディ』が行われます。会場は日本橋浜町「好文画廊」です。出演者は中村博さん、みーちょ・す・てぃーる、Kibe Dancer/木部与巴仁さん、吉田悠樹彦さんの4名という組み合わせです。

秤りあう尻尾のラプソディ 11月17日開催〜好文画廊にて(出演:中村博 みーちょ・す・てぃーる 木部与巴仁 吉田悠樹彦)

秤りあう尻尾のラプソディ 11月17日開催〜好文画廊にて(出演:中村博 みーちょ・す・てぃーる 木部与巴仁 吉田悠樹彦)
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どんな公演なのか? タイトル『秤りあう尻尾のラプソディ』から考える

私は11月17日に地域イベントがあるため行けないのですが、木部さんと、みーちょ・す・てぃーるさんにご案内をいただいたこともあり、イベントを紹介させてもらいます。

この公演『秤りあう尻尾のラプソディ』の情報をまとめようとチラシを見ても、会場となる好文画廊さんのサイトを見ても……内容がまったくわかりませんでした。

 

そこでタイトルから想像することにしました。しかし、タイトル自体も難解です。

 

『秤りあう尻尾のラプソディ』という言葉にどのような意味が込められているのでしょうか。今回の企画コーディネートは舞踊批評、メディア研究をされている吉田悠樹彦さんです。きっと吉田さんが決めたのでしょう。いや、早合点は禁物ですね。

誰が決めたかはともかく、タイトルから勝手に想像してみました。見る側が自由に想像する権利はありますから。

 

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まず「秤る」。これは、物の重さをはかることを意味しています。昔からある代表的な道具は天秤ですね。もしかすると “ 表現の重さ ” といったニュアンスが込められているのかもしれません。本来ならばさらに “ 表現の重さ ” を考えていきたいところですが、脱線しすぎるので自重します。

そもそも秤る行為は、何かと何かを比べる行為です。あえて「秤りあう」としているのですから、いくつかの「秤る行為」を提示するということでしょうか。

そして「尻尾」。考えてみると、多くの動物は尻尾を持っています。ご存知の方も多いでしょうが、人間にも尻尾はありました。これが進化の過程で消えてしまいます。いや、正確には現在も胎児の頃に尻尾はあるのですが、母体での成長過程で消えてしまいます。この名残が尾てい骨です。

ここから想像するに、「秤りあう尻尾」という部分は、出演者の原点を掘り下げ、なんらかの関係性を持たせていくようなニュアンスが含まれているような気もします。

最後に「ラプソディ」。これは狂詩曲と訳されます。幻想的かつ叙事的な自由形式の楽曲をつなげていくパターンが多いです。「秤りあう」と同様に、いくつかの場面が発生することが予想されます。

まとめてみると……各出演者が自分たちの積み重ねてきた表現人生を深め、関わり合うことで拡張させていくようなイメージでしょうか。想像したわりに、空虚な言葉でまとめていますね。自分の言葉の力の弱さを痛感させられます。

 

 

キーワードは解体? いったい何が起きる? 何を起こす?

冒頭から想像ばかりの根拠のない言葉を羅列させてしまいました。これでは公演紹介にならないですし、無責任な言葉を書き並べて終わるわけにはいきません。そこで木部与巴仁さんに公演の内容をうかがってみました。

以下は、木部さんからいただいたメッセージを自分なりにアレンジしたものとなります。『』部分が木部さんの言葉です。

 

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公演自体は『微妙にずれ、微妙に重なる四人のコラボレーション』らしいです。表現に携わってきた四人が、同じ時間・同じ空間の中に存在することによって生まれる即興的なコラボということでしょう。

 

木部さんと中村博さんの出会いは40年以上も前のことだとか。

 

『中村博との出会いは1982年。彼と、その仲間が繰り広げるパフォーマンスは衝撃だった。美術が背景にあるとはいえ、ダンスとも演劇とも、映像的ともいえる身体表現。しかしどれでもない。私は1970年代から“解体”を意識し続けていた。中村のパフォーマンスは、ジャンルを解体し、新たなスタイルを創らないまま見せる、“解体”の果ての光景だった。ダンスも演劇も音楽も解体すればいい。しかし難しい』。

 

印象的なキーワードが出てきました。

“解体” は、「分解する」「バラバラにする」といった意味を持っています。もはや死語になっていますね。

表現の世界での “解体” は、「ジャンルという枠を壊す」「芸術のすそ野を広げる民主化」などの意志が込められた言葉といえます。いまだったら、 “創造的破壊” と言った方が伝わりやすいかもしれませんね。

 

ちなみに余談ですが、せっかくだから書かせてもらいます。「誰もがアーティスト」なんて私が大嫌いなクソのようなメッセージは、本来は芸術の民主化という “解体” を意識したものだったはずです。しかし、芸術の民主化が加速していくことで芸術は消滅へと進んでしまっていると私は考えます。←もちろん反論歓迎。議論はしません。

 

つまり、 “解体” という行為には、諸刃の剣の要素もあると私は考えています。

今回の公演はコーディネーターとして吉田さんという存在がありますので、もしかすると公演中に木部さんの “解体” をコントロールすような場面があるかもしれません。それはそれで面白いのではないでしょうか(演じている側にとってはフラストレーション溜まるかもしれませんが)。

 

せっかく木部さんの言葉をいただいたのに、私の言葉を入れすぎてしまいました。ただ、それだけ想像させる要素が強いという公演だと感じます。

 

最後に木部さんからのメッセージをお伝えします。

『『秤りあう尻尾のラプソディ』を木部なりに表わせば、それは未だに続く解体行為だ。中村は、身体でしか表現できない行為を見せるだろう。みーちょ・す・てぃーるからは、“身体表現はこの世に自分が在り続けるツール”という言葉をもらった。自身を表わす【エクスプローラー】は“探究者”のことか。解体、探求を受け、キベダンサーは好文画廊のその場所で生きようと思う。生きて、戻ってきたい。その過程で何があるか。コーディネーター吉田悠樹彦の目には、今、何が見えているだろう。繰り広げられる当日の光景を、目撃してほしい』。



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頭が混乱するので、最後に伝えることになってしまいましたが、この公演には「Plan F Project 2」というサブタイトルがつけられています。どうやこれは中村さんの考えるプロジェクト。Fには、「Fragility(脆弱性)」「Flexibility(柔軟性)」「1/F(1/fゆらぎ)」などの志向性があり、sustainable(持続可能)な運動を目論むものようです。

やはりこの公演、わかりにくいからこそ、気になりますよね。

 

 

『秤りあう尻尾のラプソディ』公演情報

いったいどのような公演になるのでしょう。非常に気になります。

<公演詳細>
『秤りあう尻尾のラプソディ』
開催日:2024年11月17日(日)
時間:19:00〜(開場18:30)
料金:2,500円(予約2,000円)

出演:
中村博【パフォーマティブ インスタレーション】
みーちょ・す・てぃーる【からだ縦横無尽のエクスプローラー】
吉田悠樹彦【本企画コーディネーター 舞踊批評・メディア研究】
木部与巴仁【Kibe Dancer  キベダンサー】

会場:好文画廊(中央区日本橋浜町2-24-1)
会場公式サイト:https://gallerykobun.com/
会場マップ:https://gallerykobun.com/%e3%82%a2%e3%82%af%e3%82%bb%e3%82%b9/
最寄り駅:都営新宿線「浜町」駅

念のためマップを貼っておきます。
秤りあう尻尾のラプソディ 11月17日開催〜好文画廊にて(出演:中村博 みーちょ・す・てぃーる 木部与巴仁 吉田悠樹彦)
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