<過去記事プレイバック>
散らばったサイト記事の統合、振り返りながら現在の変化と比べることでの新しい発見を期待しての「過去記事プレイバック」です。これは以前に「さるさる日記(無料レンタルWeb日記サービスの草分け。1999年にオープンし、2011年6月30日にサービス終了&全日記削除)」に書いていた過去日記の再掲載です。
当時の記事は冒頭部分で「引用」で囲み、更新日は当時の設定にしております。引用以外の部分は、最初の見出し下に追記日(例:2017年12月××日追記)を加えています。
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目次
第2回『ハート・トゥ・アート』の目玉企画は、映像ブース
<2000年10月03日記事〜2017年12月28日追記/引用部分は除く>
『電話攻撃にはまいった』
昨日の午前中は、イベントに関する問い合わせなどが多かった。電話中に電話がかぶってくる感じ。けっこう大変だった。期待しているマスコミ関係の問い合わせはなかった……ザンネン。オレの活動はイベントの案内状を関係者の方々に送る作業。午後からは仕事で外出。結局は終電帰り。そうそう映像を仕切ってくれている「宮本クン」から電話があった。正式に玉川大学や専修大学の参加作品が決定したことを知らせてくれた。掲示板にも書き込んでくれているが、彼は映像ブースの“大ボス”。機材の用意から、参加者の手配、上映スケジュールなど、すべて彼が中心になってコーディネートしている。仕事や編集作業でメチャクチャ大変なはずなのに、そんな素振りも見せない。すごい。
今回の映像ブースは必見だと思う。上映スペースが非常に狭いけど、ぜひ一本でも多く見て欲しい。全作品をチェックしたワケじゃないけど、力作揃いだ。
なかなか平日はメンバーも仕事があるので、思うように動けない。それが歯がゆいところ。「鈴木あかねさん」からは、スタッフカードのヒモを無事購入したとの連絡。「矢島瑠美さん」は外装用のヒモの手配をしてくれているはず。残りのメンバーは出来る範囲で宣伝活動しているだろう。
仕事しながらのイベント準備ってのは大変だったですね。好きでやってるわけですから、大変とかって大袈裟に言うことではありませんが。
2016年の追記でもそんなことを書いてますね。『ハート・トゥ・アート』を続けていなかったら、まったく人生になっていたことでしょう。
ハート自体、仕事とは完全に切り離していましたが、やはり直前になるとかなり大変でしたね〜。クライアントからドヤされたことも少なからずありました。
昔からイベントとかとは関係なく「オレに仕事を頼むのが気にくわないなら、さっさと切ってくれ」という強気モードでしたが、まぁ…クライアントも怒らせないようにしながら死に物狂いな日々を送っていたような気がします。なんであれだけ頑張れたんでしょうね。いま振り返っても意味不明な感じです。
きっと「何かをやるときには誰かが馬鹿にならないとダメ」というポリシーを持っていたので、その気持ちだけで動いていたんだと思います。
ちなみにこのポリシーって、高校時代に胸に刻まれたものなんですよね。一時期、ほんとに馬鹿でしたから。振り返ると……「あのまま馬鹿を続けていたら、全然違う人生になっていただろうなぁ」と思います。まぁ、結局は途中で馬鹿を放棄しちゃったんですけどね。。。そういった後悔する部分があって馬鹿にこだわったのかも? とにかく馬鹿になるって大切だと思います。余計なことを一切考えないで突き進んでいけますから。
いまでは完全にそんなポリシーも消え去ってしまったわけですが・・・。もう少し馬鹿にならないとなぁ。。。と思っています。。。でも、思ってるうちはダメですね(苦笑)。
2016年は、馬鹿になれるかどうかが大きなポイントかもしれませんね。もう5月になっちゃってますが(汗)
あ、あと大事なこと。第2回には映像ブースというのがありました。これはメンバーの希望(たしか、鈴木あかねさんの希望だったような・・・)で実現した企画でした。
オレは映像の確認程度はしたけど、人選に関しては基本的にミヤモトタカシさんにお任せでノータッチでした。そんなわけで参加監督とも接点はほとんどなかったんですよね。イベント当日は館内放送ができず(設備トラブルだったかな?)、上映案内をしてもらいたかった参加監督が文句を言ってたような記憶が断片的に残っています。
映像出展者の紹介ページ
http://www.heart-to-art.net/nikai06.html少し検索してみると、ウズマキマキオ監督は『融解座』として活動を続けられているようですね☆ 載せておきます。
次回の「融解座」は、2018年2月4日(日)だそうです。ドラマ、ドキュメンタリー、アニメーション、映像作品、実験作品、PV、などなど…20分くらいまでの短編作品ならジャンルは何でもOKだそうです。上映作品の審査等もないとのこと。続けることは偉大です。
私はすでに2月4日は予定が入っているので行けないです。残念です。
仕事と趣味の両立? 自分らしい選択をして、やり切ればいいだけ
ハート自体、私にとっては趣味の範疇ではありませんでした。息抜きっていうレベルの内容ではありませんでしたし、責任も大きかったですから。
実際、仕事とハートの両立は、巷で言われている仕事と趣味の両立させることに当てはまります。
しかし、私には仕事とハートを両立させるっていう思考はありませんでした。
仕事と趣味の両立させる話に付随して趣味を仕事にするかどうか?の議論もよく目につきます。
私的には、
自分らしく生きればなんでもアリ
だと思うんですけどね。
自分らしく生きる判断基準は2つしかありません。
「生活していくためのお金の稼ぎ方」と「自分が生きている価値」をどう認識するか、この2つです。
私はそう考えています。
「自分らしく生きればなんでもアリ」は糸川英夫の思考の影響
「日本のロケットの父」と呼ばれる糸川英夫という人物がいます。日本を代表する天才の一人です。
See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons
糸川英夫(1961年撮影)
ペンシルロケット一発目の発射実験は荻窪
糸川氏は東京帝国大学の航空学科を卒業後、中島飛行機(荻窪)に就職して戦闘機『隼』などを開発しました。そして戦後はペンシルロケット開発に携わりました。一発目の発射実験は荻窪で行われたので、「ロケット発祥之地」碑が建てられています。
子ども時代に糸川英夫氏の本を読み漁りました。研究者として偉大なだけではなく、たしか還暦を迎えたタイミングでバレエをはじめたり、チェロを演奏したりと、非常に多彩な人物だったので、憧れの存在でもありました。
「自分らしく生きればなんでもアリ」という考え方は、糸川氏からの影響が大きかったと思います。
単なる息抜き的な趣味ではなく、それなりの実力を身につけるために自分に負荷を与える姿勢も好きでした。
どんな生き方でもかまわないですが、それなりの負荷を自分にかけることは大事なんだと思います。
ハートをやることは思いっ切り負荷ではありますが、その負荷から得られるものに味をしめてしまったことは私にとって良かったんでしょうか・・・ね。
ちょっと判断するのが悩ましいところでもあります(笑)。
糸川英夫を知らない人は、糸川イズムにぜひ触れて欲しいです。時代を経ても色合わせない一冊『新装版 逆転の発想 天才だけが辿り着いた「成功法則」』をぜひ!
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今回の記事は以上となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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