<過去記事プレイバック>
散らばったサイト記事の統合、振り返りながら現在の変化と比べることでの新しい発見を期待しての「過去記事プレイバック」です。これは以前に「さるさる日記(無料レンタルWeb日記サービスの草分け。1999年にオープンし、2011年6月30日にサービス終了&全日記削除)」に書いていた過去日記の再掲載です。
当時の記事は冒頭部分で「引用」で囲み、更新日は当時の設定にしております。引用以外の部分は、最初の見出し下に追記日(例:2017年12月××日追記)を加えています。
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目次
初期の高円寺『ハート・トゥ・アート』の会場だった高円寺社会教育会館
<2000年10月02日記事〜2017年12月27日追記/引用部分は除く>
『社教館の料理室がピカピカに!? パート1』
今日は昼過ぎに、会場になる「高円寺社会教育会館」に集合。参加メンバーはアートカフェを切り盛りしてくれる前回出店者の「青井洋平クン」とカフェのメンバーである「上山雅世さん」「前田伊織クン」、そして「鈴木あかねさん」「矢島瑠美さん」「澤崎友里さん」「二山敏雄さん」「ヒラノトモミさん」とわたなべでした。
みんなで食器棚を動かしたり、ガス台を磨いたり、もう大変でした。でもおかげで料理室はピカピカになりましたよ。当日は、きっと清潔感のあるオシャレなカフェになることでしょう。ちなみにカフェの内装は「上山雅世さん」の担当。音楽は「前田伊織クン」が渋谷系(!?)の音をセレクト。なごみのカフェの名前は『ミルク25%』。料理もバッチリですから、ぜひ遊びに来て下さい。
そうそう、事前に社教館の方々も掃除をして下さってたんです。しかも館長さんからはジュース代まで差し入れしていただきました。本当にありがとうございます。
それから忘れてならない話。
偶然、第2回出店者の「関クン」が社教館にやってきたんですが、我々は彼を拉致しちゃったんです。結局、関クンは最後まで掃除を手伝ってくれました。しかも家に戻って、掃除道具まで持ってきてくれたんです。もう泣かせる話です。メチャ嬉しかったですよ。ありがとう! ちなみに関クンは1階ホールの舞台上にブース出店します。
この時すでに名前表記は「わたなべ」だったんですね。基本的に「渡辺」という漢字表記はしないことにしています。画数とかの問題ではなく、同姓同名の作家さんがいるので、紛らわしいのです。アート系の活動をしていると、ホントに間違われることが当時からありました。
高円寺社会教育会館の前身は「高円寺青年館」と呼ばれる施設でした。当時から地域活動者の核ともいえる施設だったんですよね。現在は駐輪場になっています。現在、こういった施設に変わる存在は・・・残念ながらないですね。一連の動きを体感してきた者からは言いたいことが山ほどありますが、批判的な話になっちゃうので胸の奥の留めておきます。
それにしても懐かしい名前が出てきましたね。
たしか青井洋平くんは現在、大阪在住でしたっけ。昔、「ドルフィン」というお店で知り合ったのが最初だったような気がします。
澤崎さんにはたまにヘルプしてもらうことがありますが、当時はみんなでハートを作っていくイメージが強かったです。けっこう女性が多かったですね。
なんなって当時はみんな若かったです。この辺の活動状況については立場や人によって意見は様々だと思いますが、若いときは「みんなで何かを創り上げる」っていう情熱でつながっていたと思います。時間もありましたし。まぁ、オレは当時から時間はありませんでしたけど(いまよりもっと時間がありませんでした。当時は「(寝不足で)目を年中赤くしている熱い人」と呼ばれていましたから。
施設の館長さんをはじめ、職員の方々には大変お世話になりました。血の通った関係だったと思います。
施設を使うにあたり、当時は「借りる前よりも綺麗にして返す」というのがポリシーでしたね。その後、巷では好き勝手に使いっぱなしする人が増えたために公共施設利用に関する禁止事項も増え、私も粛々と現状復帰を心がける程度になってしまいました。初心を完全に忘れてしまっていますね。これは反省しないちゃいけない部分です。
まぁ、こちらの勝手な言い分を言わせてもらえれば、特殊な利用をさせてもらえる土壌もあったし、そのやりとりの中で施設との関係も深まっていきました。「借りる前よりも綺麗にして返す」という気持ちを醸成させる状況だったんですよね。いまは・・・まぁ、そんな関係を創り上げる状況ではなくなってきていますよね。
それしても会場に下見でやってきた?第2回参加者の関さんが拉致されて掃除を手伝わされたようですね。関さんの優しい性格が伺え知れる日記でした。
ふたつめの引用は「2016.1.3」に追記したものです。当時使わせてもらっていた高円寺社会教育会館の職員さんたちにはホントにお世話になりました。
杉並区の社会教育は昭和28年の公民館開館からスタートした
昭和22年に第1回区長選挙が実施され、杉並区初代公選区長に新居格(にいい たる)が選出。「民主主義は小さいところから始まる」と説いた新居氏は、自身の考える「文化区杉並」を目指しました。
その後の歴代区長も新居氏の想いを引き継ぎ、昭和28年に公民館が開館することとなりました。
先進的だといわれていた杉並区の文化的基礎は、この公民館から生まれたものだといっても過言ではないと思います。
その後、青年館が井草、高円寺、高井戸の順で作られ、区民自らの自発的活動が活発化し、杉並の文化力が広く、力強く育っていきました。
昭和45年にはじまり、平成14年に幕を閉じた「杉並区高円寺の社会教育」
高円寺青年館がオープンしたのが昭和45年。青年館は平成元年に高円寺社会教育会館と改名されました。
同じく平成元年には杉並区社会教育センター(セシオン杉並)が開館。さらにその時期を前後して杉並区7エリアに地域区民センターが次々と作られていきました。そして、地域区民センターが社会教育の役割を担うことにより社会教育会館は廃止されていくことになります。
このような流れの中で高円寺社会教育会館は平成14年3月末で閉館。
この幕引きイベントを高円寺『ハート・トゥ・アート』が務めさせていただきました。非常に誇らしい出来事のひとつです。
当時の会館備品だった展示パネルなどは私がいまだに持っています。廃棄できない理由は簡単です。受け継いだ備品は杉並区の社会教育の遺品みたいな物だからです。
杉並の社会教育に関しての話は別のタイミングに譲ることにしますが、この時期を境にして杉並の社会教育は死んでしまいました。
社会教育と生涯教育の概念を明確に示すことができなかったことが理由だと私は考えています。
昨年には「科学館」も閉館となりました。
せっかく先進的だった「文化区杉並」も、いまではかなり遅れをとっていると感じています。
釈迦が誕生した時に言ったとされる言葉、「唯我独尊」の姿勢で積み重ねていく
唯我独尊……正式には「天上天下唯我独尊」。
これは釈迦が誕生直後に七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」と言ったとされる言葉とされています。
釈迦立像(東京国立博物館蔵)
独り善がりな正義を振りかざす言葉ではありません。人間はそれぞれ誰とも代わることのできない貴い存在であるという意味です。
杉並の社会教育に対して言いたいことは山ほどありますが、それはそれで良しとすべきなんでしょうね。そこにエネルギーを使っていても疲れてしまうだけです。つまらないことに執着せずに、『ハート・トゥ・アート』は唯我独尊で、もっと自分のことに注力して積み重ねていくことが必要なようです。
<参考>
釈迦の言葉を知りたいならば、中村 元による『ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫) 』にトドメを刺します。オススメです。
楽しく知りたいならば、手塚治虫の『ブッダ』です。
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今回の記事は以上となります。
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